20120820

n no hakobune ,

    


ずっと碇のようなものを引きずっていた
そのことに気づいたのは
碇を手放した時より
だいぶ月日が経っていた

どうしてだろう、
いつも新しい風を わたしのところに運んでくれたのは

 
彼女のほうだった。
 







突然 一番奥の歯が抜けて
みんなの驚きをよそに ひとりで笑っている

そんな夢を見たのは

自分の言語伝達能力の低さを恥じている夜だった。








 


20120818

伝える努力をしなければ、



熱帯夜ですね。
先日、久々に実家に帰りました。

「親孝行しといでよ」という 隣で眠る人からの言葉を抱えたまま、
実家での始終、親孝行って何だろう? と考えていました。
一緒にビールを飲み、食事をしてワインを飲む間も、
その問いが離れないまま。
近況を話している母が、はらはらと泣き出したのは
お酒のせいではなく、私が無口なのも
お酒のせいではなく。

母が話していたのは 過去に放送された「クローズアップ現代」の一部分と
重ね合わせた 今 の話。
“伝えあう努力を”
できることが、唯一の希望。

伝わらない のではなく、
伝える努力 を しない人間がいることに、
母は 深く胸を痛めていた。



その次の日、
保田さんの作品を見に行った。

初めて見る保田さんの作品は、
細胞の痙攣がスローモーションで描かれているようで
「伝達」を試みる平面作品が 冷たい熱を帯びて
空間に鎮座していた。
母も、保田さんも、私も 女子美術大学で学び、
三者三様の人生を過ごしている。
ただ「伝える」ということをキーワードに、
私の中で何かが繋がっているような気がした。



同じ日の夜、保田さんがお店に ふらっと寄ってくださって

その日の締めくくりに 同じ芋焼酎をロックで飲みながら、
ステートメントの話や、 その周辺の話を聴いた。

美術をやっていく上で、たくさん闘ってきた と話してくれた保田さん。
闘うために、いろいろな武器(弁論)を身につけてきた。
でも、そもそも 闘う場所が、相手が違うのではないか と 思えたの^^

その笑顔を見た時に、私は何か 出口めいたものを 見た気がした。

偶然にも、終戦記念日だった。









Harajyuku&Ginza Tomomi HODA solo exhibition  

-De Sign from xxx-

19日まで。

http://hodatomomi.exblog.jp/